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アフター / 傲慢と偏見から始まった出会い

『強欲と偏見』とか『嵐が丘』とか、実際どれだけの人が読んだことあるんだろう?
大学で文学とか専攻してる人たちは「何、それぐらい読むの当たり前じゃん。てか読んでないと話にならないし」って一蹴されると思いますが、道歩いてる一般人の中でどれほどの人たちが読書に熱中してて、そして古典読みましたよ、っていう人がいるのか。
そういう文学作品を知ってる人からすると、一説を暗唱できる人物に出会うと、ちょっと「おっ」って思うんじゃないでしょうか。
そんな人物にテッサは出会う。
しかもその人物は直前まで「真実か挑戦か」というゲームで自分を挑発してきたハーディンという男性。

このハーディンという男はまたかなりの男前で、自分に迫られたら引かない女子はいないだろいうと自負している節もある。
しかし「真実か挑戦か」ゲームでキスを挑むもテッサには振られてしまう。
ここでハーディンはその屈辱を挽回するためにテッサに仕掛けていく訳ですが…、これが引き金となって後々テッサとの間にヒビが入ってしまう。
出会いがあれば別れもある。
恋愛映画って別れも描くところがやっぱり切ないんですよね。
分かってても苦しくなっちゃう。
幸せな時期を知っていると余計にね。
とまぁこの2人が接近するきっかけになるのが文学なんですが、本を知っているからこそ気になったりとか、解釈を戦わせたからこそ引かれたりしていく。
たとえそれがゲームのつもりだったとしても、自分との共通点を見つけることによって意識し始めることってあると思うんです。

ハーディンの印象的なところは、彼は過去のことはあまり語らずに、過去何をしてきたかよりも、今これからどうしていくか、という「今」を充実したものにしようと考えている。
だからテッサに自分の言動を見られた時も、「これは昔の自分が言ったことであって今はそうじゃない」「あれは君と出会う前の自分」と言って「今の自分」とは別人なんだ!と説得する。
そんな弁解を受け入れられるはずはないんだけど、でも彼の言動を見ていたらそれは本気で言っていることが分かる。
その場しのぎでないことは確かだろう。
とはいえ彼は父親のことになると感情的になって過去のことに拘っているという面も見られる。
父親のおかげで大切な家庭が崩壊した過去を持ち、許すことのできないハーディン。
そんな父も今では努力しているとテッサに諭されたりするのだが、そんな過去と決別するためにも、過去のことは振り返らずに、今、これからの時間を生きようと考えているのでは、なんて思いました。

もしテッサがただ強がっているだけの女の子だったら、ハーディンはゲームを続けてその気にさせておいて、突然「スイッチオフ」するつもりだっと思う。
だけどテッサは強がってるだけじゃなくて、本当に強かった。
というのも彼女の中には自分というものを持っていて、芯がしっかりしていた。
周りに流されるんじゃななくて、自分のスタイルというものを貫いていた。
ハーディンの周りには、言葉を悪く言えば自堕落な人間ばかりだった。
酒とタバコとゲームばかりやっていかにも勉強してません、って感じの。
そういう女子だったらお遊びで終わっていたけど、テッサは違かった。
ハーディンから見ればたくましく生きている彼女は生き生きしていて、まさに「闇から外に連れ出してくれた」女性。
色褪せた世界に輝きを見せてくれた。
退屈な世界に喜びを見せてくれた。
苦しい時にそばにいてくれた。
そりゃあゲームなんかで幼稚なこと言ってる場合じゃないですよね。

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