bird-box

バード・ボックス / 目を開けてしまえば自殺する、不自由な条件でのサバイバル

人間にとって、眼は大事なものだ。
視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚。
どれ一つ欠けても生活していくのに、不自由を感じる。
その中でも、人が外界を知るために強く依存しているのが、視覚ではないだろうか。
目が見えないというだけで、目の前に広がる障害物を認識することができない。
どんな光景が広がっているかわからない。
危険な人や物が立ちはだかっているかすらもわからない。
目が見えることが当たり前だと思っているぼくたちにとっては、視覚がなくなることはどれだけ心細いことか、想像するのに、難しくない。

もし目の前で、誰かが車にぶつかっていったとしたら。
もし自分の知人が、窓から飛び降りたとしたら。
今まで普通だった人が、なんの前触れもなく、自殺を図って死んでいく。
その原因が、目を開けていたことによって。
外の世界を知る大きな手がかりとなる視覚が、奪われてしまう。
人々は恐怖によって、家の中に閉じこもり、すべての窓を覆い、外にいる何物かから誘惑されないように、身を隠す。

危険はそれだけではない。
心に闇を持った人たちは、何物かによって心を支配され、人間でありながら、人間を襲うようになる。
隠れて住む人たちは、助けを求めて訪れる人物が、正気を保った人間か、それとも襲いかかる人間か、どちらかを見極め、助けるかどうか、決断しなければならない。
家の中に閉じこもっていても、人は生きるために食べ物が必要だ。
人が増えればそれだけ食料の減りは早くなる。
自分が助かるか、人命を助けるか。
極限状態の時に、人の本性は現れる。

視覚が制限されたとき、どれほど生きづらい世の中になるか、考えただけでもゾッとします。
本を読んで小説の世界に浸ったり、新しい知識を取り入れたり、映画やドラマを観て、映像の美しさに感動したり、人間描写に心動かされたり、こうやって記事を書くことだって、できなくなってしまう。
家から出ることも怖くなるし、どうやって生活していったらいいのか、途方に暮れてしまいます。
あって当然のだと感じるものが、ある日突然失ってしまうことは、誰にでもありうる。
当たり前にある感覚、当たり前にあるモノのありがたさ、そして、それを失った人の辛さや悲しみを想像する。
与えられたものに感謝しなきゃいけないなぁと、想いを馳せる気分になりました。

その他の記事