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ある少年の告白 / 神の名の下に行われる矯正

LGBTQの認知度は一昔前よりも高まってきていて、「ありのままの自分を受け入れよう」という世界的運動により、性別に対する偏見は弱まっているんじゃないだろうか。
とはいえ、全ての世界が容認しようとしているわけではない。
特にキリスト教をはじめとした宗教は、同性愛を罪あるものとして扱っている。
歴史には同性愛者を差別し、悪魔に取り憑かれているなど、数多くの偏見が蔓延していたし、それは今でも続いている。
同性愛者は種を増やす生物としての責任を放棄している、自然の掟に逆らっているとして、異性愛者へ矯正させようとする。

ジャレッドもまた、同性愛者としての自分を治すために、両親によって矯正施設へと入所することになる。
ジャレッドは父親がキリスト教徒の神父で、自分の息子が同性愛者だということを知り非常に動揺した。
従順なるキリスト教徒としては、同性愛を認めるわけにはいかない。
息子を矯正することで、正しい道に導く。
それが親としての、神父としての務めだと感じながら。

ジャレッドは、厳しい規律の矯正施設で、「同性愛者として生まれたのではない、同性愛を選んだのだ。人間は選択することができる。間違った選択を正すことができる。」という前提のもと、同性愛を憎み、考えを改め、執着を捨てよと説く。
施設では自分の恥ずかしい体験を人前で報告させ、同性愛を捨てきれずにいる生徒には、厳しい罰を下す。
その様は、まさに宗教の名の下に行われる迫害そのものだった。
神の名を掲げることで、自分たちの行う行為は正義だと言わんばかりに。

ジャレッドは父親の判断によって施設に送られた。
彼は変われるものなら変わりたいと思っていた。
でも、施設では非人道的な行為も行われている。
きちんとした資格を持った指導者なのかすらも不明だ。
高いお金を払わされる代わりに、施設の詳細は話してはならないと口止めされる。
矯正という名の下で親から金を引き出したいのではないか?
自分たちのやり方に後ろめたいものがあるからこそ、外部に漏らさないように釘を刺しているのではないか? ふとそんな疑問も口に出る。
ジャレッドは施設のやり方に疑問を持ち、同性が好きな自分の心にも向き合って、強制されるやり方に嫌気がさしていた。
同性愛となった罪は、家系に罪人がいたからだ。
君は罪人の家系で同性愛鞘となったのだ、という考えにも賛同できなかった。
それは親を否定することにもなる。

ジャレッドは母親に助けを求め、その施設から強制的に抜け出す。
母親はジャレッドのことを受け入れようとした。
しかし神父の父親に説き伏せられ、しぶしぶ従っただけだった。
同性愛者としての自分を恥じるべきじゃない、本来の自分を矯正させるのはおかしい、と入所体験を通して、逆に思いが強まったように感じられた。

神の名の下に行われる迫害は、深い根を下ろしている。
自分たちが正しいという思想は差別を生み、戦争にまで発展する。
神は愛情深く、寛容で、情深い方かもしれない。
でも、そんな神を慕っている人間は、その対極にある。
差別的で、傲慢で、自分たちが正義だと感じている。
信者は自分たちの都合のいいように解釈して、背く者に罰を与える。
宗教は人を救うかもしれないが、差別を生み出してもいるのではないかと感じる。

同性愛者という罪を矯正するために、神の名の下行われる商売。
それは果たして健全なものなのか。
矯正することは正しいやり方なのか。
同性愛者になった自分を憎むということは、自分を憎むということ。
自分を嫌いにさせるやり方が本当に正しいのか。
ありのままの自分として生きることが、人間らしいことではないのか。
同性愛と宗教をめぐる物語は、いろんなことを考えるきっかけになる。

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