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某 / 人間の姿に擬態した、人間とは全く違う存在

人間の姿に擬態した、人間でない存在。
その存在はどこから来たのか、どうやって生まれて来たのか、その存在自身も自分たちのことがよくわかっていない。
わかっていることは、どんな姿の人間にも変身することが可能で、赤ちゃんに変身することもできれば、老人に変身することもできる。
もちろん男から女、女から男になることも可能だ。
人種を変えることなど難しいことではない。
彼らは人間の性を決定する染色体を両方持っていることで、どちらの性別にも変幻自在に変わることができる。
自分が望むときに変身することもできれば、自分の意思に関係なく、突如として変身が訪れることもある。
それは個体によって異なっている。
そして永遠に歳をとらないということ。
何十年経ってもその姿形のまま存在し続ける。
決して老化することはない。
自分が望まない限りは。

彼らの中には、子供を産もうと実験する者もいる。
しかし人間と同じような営みで、子供が産まれるとは限らない。
男のままの姿でも妊娠することもあるし、いつの間にか宿っていた命が産まれていたりする。
彼らの生態系は全くもって謎に包まれている。
彼ら自身でさえよくわかっていないのだ。
さらに、世界中で活動している存在数も少ない。
非常に稀で、謎の生命体、としかいうことができない。

この物語に出てくる「某」は、どこからやってきたのか、自分が何者なのか、存在する前の記憶が残っていない。
ある日突然「自分」という存在を認識し、病院にて研究の対象として過ごすことになる。
最初は女子高生や男子高校生、社会人の男性へと変化し、それぞれ全く性格も趣向も興味も違う人間へと変身する。
その後病院を抜け出し、監視下に置かれることなく、自分の生活を営み始める。
といっても、出会った行きずりの男性と共同生活をするのだが。
その男性とは男女関係になることもなく、十数年一緒に時を過ごした後、男性は病によって死別する。
日本で過ごした思い出から逃れるように海外へ飛び出し、外国人に変身してカナダへと渡る。
そんな時に、同じ名もなき存在の仲間と出会い、自分以外にも、同じ存在が生きていることを初めて知る。
彼らとの交流を通して、自分たちの自由な生き方、可能性を見出そうと奮闘する。

どんな人間に変身することもできる。
何十年も同じ姿を保つことができ、飽きてきたら、身の危険を感じたら、別の人生を生きたくなったら、自分の意思で何者にもなることができる。
自分という存在はわからなくても、その能力で自由に変身することができる。
「某」と称されるその存在は、ぼくにとってなんだか羨ましいもののように感じた。
決して「死なない」わけではなく、万能ではないとしても、別人として生きてみることは、試してみたいことでもある。

人は人生を通して、「自分は自分」だと認識している。
子供の時も、青年の時も、社会人になってからも。
結婚してからも、老年になってからも、死の間際でさえ、「自分は自分」だと思っている。
常に一貫した自分という存在の上で成り立っている。
でも、実際のところはどうだろうか?
人間の細胞はその部位によってサイクルは違っていても、何年か経てば、細胞レベルでは新しいものに生まれ変わっている。
子供の頃の自分と、大人になった自分は別人に「変身」しているのだ。
細胞と同じように、人間の精神、性格、気質もまた、その時々によって移り変わっている。
価値観、趣向、思想などは、その時々に触れる文化や環境によって変化していくもの。
整形をすれば、見た目を変えることができる。
性転換技術で性別を変えることもできる。
人間もまた望んだ時には、技術の力で「変身」することができる。
何かをきっかけに別人に生まれ変わるような「変身」を遂げる人もいる。
まるで昔とは性格が変わってしまったかのように。

人間もときとして「変身」することはありうる、ということ。
一個人もまた、別人の連続体でできている、といえるのではいえるのではないだろうか。
後半は哲学的な思想も見え隠れする物語だったけれど、「何にでもなれる」存在から、人間という存在を浮き上がらせようとしているように感じた。

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