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ラ・ボエーム / 自由気ままな芸術家たちの極貧生活

いつか成功することを夢見て、いつか名前が広まることを夢見て、若き芸術家たちは、その日暮らしを続けながら、出世のチャンスをうかがっている。
彼らはどんなに赤貧に陥っても諦めることなく、知人から金を借り、家賃を踏み倒し、どうにかこうにか金を工面して、自分たちが愉しめることを優先する。
ときには仕事でお金に恵まれたときは、ここぞとばかりに贅沢にふけり、友人知人、恋人を呼んでは盛大な晩餐を繰り広げる。
彼らの辞書には「倹約」という文字はない。
あればあっただけ使ってしまう。
もちろん倹約しなければと思うのだけど、気づいたらあったはずのお金は消え去っており、また極貧生活に逆戻り。
カフェの美味しそうな匂いに足を止め、芳しい香りを嗅ぎきながら、ガラス越しに店内を眺め、「ああ、いま金があったなら贅沢ができるのに」と思いつつ、持ち合わせの金で少しでも腹が満たせる者を調達する。

彼らのような自由気ままな生活は、羨ましくもある。
同じ芸術仲間とときを共にし、同じ下宿先で共同生活し、ときにはお互いがうまくいっていることをたたえ合い、赤貧に窮しているときには励ましあい、恋人がいるときには一緒に宴を楽しみ、失恋したときには慰め合う。
どんなに貧しくても同じ志を持つ仲間と連れ合い、情熱をたぎらせ、芸術談義に花を咲かせ、若さと自由を謳歌し、愉しむことを忘れない。
若さと、仲間と、恋人さえいれば、赤貧のその日暮らしでも、充実感に満たされているように感じる。
やっぱり若い時は、仲間と一緒に騒げることが楽しみの一つでもある。

でも現実は現実として、その身に厳しくつきまとう。
寒さ吹き荒ぶ冬の夜は、その身を温める薪を買えるお金がなければ、凍え死んでしまうかもしれない。
楽しさにその身を任せていても、空腹には耐えられない。
芸術で身を立てんとしている者は他にもたくさんいる。
ライバルも同じパリで野心の炎をたぎらせている。
華やかな芸術の世界の裏側には、有象無象の人に溢れ、戦場と化している。
お気楽なだけでは生き残れない。
自分を売り込み、作品を残さなければ、人の目に止まることもない。

パリといえば愛を抜きには語れない。
若き芸術家もまた、多くの恋に生き、別れに心を乱される。
情熱の炎が揺らいでいるときには、わずかなお金も彼女たちを美しく着飾るために奮発し、一日中愛をささやき合い、愛を確かめ合う。
しかし恋とは移ろいやすく、自分たちを楽しませてくれる殿方の方へと流れてしまう。
女性たちもまた彼らと同じように、その時のそのときの自由を求めて渡り歩く。
彼女の心に愛を感じられなくなれば、痛みをともなう別れを決断せざるを得ない。
あんなに愛し合っていたのに、風向きが変わればあっけなく散ってしまう。
それでも心のどこかで、あの時の美しい思い出が蘇り、恋人の眼差し、温もり、心情が忘れられずに、あの頃の恋心をもう一度と、お互いを求めて合う。
そんな若き芸術家たちの赤裸々な恋模様を読み進めるにつれ、恋愛はいつの時代でも変わらないものだな、と改めて感じる。

自由気ままに生きている彼らだったが、20歳から始まった物語は、いつしか 10年という歳月が流れ、彼らは 30歳になろうとしていた。
年代が変わろうとするタイミングで、画家の一人が将来を案じ始める。
俺たちはいつまでも、このままその日暮らしを続けていくわけにはいかないだろう。
誰にも知られることなく、無名のまま忘れ去られるわけにはいかない。
そろそろ真っ当な生活をするべきじゃないのか、と。
いつまでも遊んで暮らしていくわけにはいかない。
若気の至りが許されるのも 20代までなんじゃないのか?
30代になってもなお、赤貧の生活を続けていくわけにはいかない。
俺たちは名を上げるためにパリにいるんだ。
そのことを忘れちゃいけない。
自分の境遇を冷静に見極め、他人に頼ってばかりではいけない。
自分の力で生き抜く強さをそろそろ持つ必要があるだろう?
そんな心情がひしひしと伝わってくるようなセリフに、自分もきちんと将来を考えなければ、と身につまされる思いでした。

音楽家、画家、詩人、哲学者。
それぞれの恋模様、人生観、人間関係、生活が、まるで一緒に過ごしているように眼の前にあらわれる。
特に詩人のロドルフの話が多いように感じられたけれど、著者の境遇をロドルフに投影しているという解説を読み、なるほどなと感じた。
仲間がいるからこそ切磋琢磨できるし、支え合うこともできる。
お互いを尊敬し、軽口を叩きながら、金がないことも笑いあえる。
そんな楽しいひとときに混じることができた。

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