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千霊一霊物語 / この世の不可思議な出来事を目の当たりにした人たち

アレクサンドル・デュマという作家は、一度は聞いたことのある名前の一人かもしれない。
彼は 19世紀中期に活躍したフランスの劇作家で、代表作には『三銃士』や『モンテ・クリスト伯』がある。
『三銃士』はドラマ化されたり映画化されたりしているし、『モンテ・クリスト伯』は舞台化も頻繁にされているようだ。
実際に観たことはないし、両作品はまだ小説で読んでいないのだけど。
そんなデュマの作品の一つとして、今回は『千霊一霊物語』を読んだ。

この物語は、デュマ自身が登場人物の一人として登場し、歴史的に実際に起こった出来事を絡めながら、多数の人物が、自身の体験談を語っていく。
これはデュマが例年とは違った場所で、猟に出かけた先の町で目撃した事件から、物語は動き出す。
デュマは一人の農夫が両手を真っ赤に染め、市長の家におもむき、「妻を殺した」と自首するところに遭遇した。
この唖然となる出来事に、町の住民は何事かとこぞって顔を出し、その光景を固唾をのんで見守る。
その農夫が正直に出頭した理由。
それは、首を切り落とした妻の生首が、「人殺し!」と口をきいたからだという。
男は動揺し、市長さんの元へ出頭し、安全な牢屋へ入れてくれ、と懇願しに来たのだ。

果たして首を切られた人間の生首は、身体から離れてもまだ意識を保つことができるのか。
そして口を聞くことができるのか。
検視に立ち会った医者は論理的な思考力で、「生首は意識も口をきくことも決してない」「脳が引き起こす幻覚や幻聴だ」といって、犯人の主張を一蹴する。
しかし、現場検証に立ち会った市長とその友人たちは、医師の考えを否定し、自分たちは怪奇現象のような、非論理的な事象を経験したことがある、これらをあなた (医師) はどういうふうに考えるのか、として、自分たちの体験談を語り出す。

体験談の数々には、生首や幽霊、吸血鬼など、およそ説明のつかないような現象が、詳細な出来事として語られる。
首を切断されてもなお、愛する人の名前を呼び続けた生首。
自分の体の一部 (髪の毛) を編み込んだブレスレットで、妻への危険を事前に知らせる夫の愛。
犯罪者なのにもかかわらず、手を尽くそうとしてくれた神父のために、死んでもなお恩を忘れようとしなかった男。
王家の墓を荒らした市民の横行を糾弾し、再び王政の復活を予言した幽霊たちのセレモニー。
自分の望みの結婚を果たせなかった男が、復讐のために彼女に襲いかかり、死に追いやろうとして蘇った吸血鬼。
現世に悔いが残っていたり、やり残したことが残っていると、それが強い執念となり、または怨念となって、この世に残り続けていた死者たちの理由ではないか、と感じた。
愛する者のために、死してもなお残り続けた魂。
自分の無念を果たすために、成仏できなかった魂。
そこに共通するのは、誰かへの「愛」が、引き金になっているのではないか、と思うのだ。
現世にどんな形であれ悔いが残っていると、そう簡単に離れられないのだろう。

ちなみに、実際に首を切られた生首に意識はあるのか。
処刑の道具としてギロチンが発明された当時は、処刑された者の生首を使って数々の実験がなされたようだ。
ある研究者は意識があると説明し、別の研究者は反応がなかったと説明する。
正反対の結論が出る研究が色々と出されたようだけれど、結果的には、生首には数分間意識を保ち、切り離された身体も反応があるという結論に達しているようだ。

19世紀前半のフランスはロマンスの時代であり、感性と想像力の解放、幻想的なるものへの関心が高まっていた。
しかし中頃には、科学と実証主義の信奉へと移行しつつあり、超自然的な伝承が迷信として追いやられようとしていた。
幻想的な物事を科学的に説明しうるか否か、あるいは説明すべきか否か、体験者と医師との対比によって表されている、という解説がなんとも腑に落ちるようだった。

またこの小説に登場する「恋愛地図」なるものが面白かったので、
備忘録として残しておきたい。
往路:
<恋愛>川の川下には<心づかい>集落、<恋文>集落、
<不可解>集落があり、上流には<欲望>宿、<甘言>谷、<溜息>橋、<嫉妬>の森。
川の水源を占めているのは<完全充足>宮殿。
外れにある<熱狂>火山により、たびたびこの国はひっくり返る。
復路:
涙によって氾濫した川は増水し、残るものは少ない。
集落は<倦怠>集落に変わり、<後悔>宿になり、<改悟>島として陸地の一部が残る。

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