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あしたはうんと遠くへいこう / 大切に扱ってくれる誰かに出会うまで

角田光代さんが描く、恋愛する女性像は、なんだか不器用で、男性に振り回されてばかりで、依存傾向が強いなーという印象を受ける。
とはいえ、『愛がなんだ』に続いて、角田光代さんの小説は、そんなに多く読んではいないから、偉そうなわかったふうなことはいえないけど。

『愛がなんだ』に登場した恋する女性は、一人の男性をどこまでもどこまでも追いかけ続け、ついには恋人同士になることができるのかどうか…?
という感じで、一途な女性だったけれど、本作では何人もの男性と恋に落ち、同棲するまでに至る。
自分の知らないような世界へ連れて行ってくれそうな人、自分のことを純粋に好きだと行ってくれる人、態度が急に変わって束縛してくるような人。
いろんなタイプの男性と恋に落ちるけれど、最後は仲がうまくいかなくなって別れてしまう。

憧れる人には、もっと自分のことを見てもらいたい、もっと自分のことを大切にしてほしいと願い、好きだと言って懐いてくるような人には、頼られるばかりじゃ物足りなくて、想いの覚悟をもっと証明して欲しがったりして。
一挙手一投足指図してくるような束縛タイプの男性には、そのまま素直に従って尽くしたりして。
ああーこの女性は自分だけを見てくれて、かつリードして引っ張ってくれるような人が理想のタイプなのかなーなんて、書きながら考えたり。
恋人になったのなら、誰よりもパートナーのことを優先して、そして自分のことも優先してくれる、2人きりの世界に入り込んで、誰にも邪魔されたくない。

だけど、自分たちの世界に土足で踏み込んでくる人をなんのためらいもなく招き入れ、我が物顔で振る舞わせる。
そんな状況が続けば、自分には価値がないのでは、と卑下して追い詰め、不満を当たり散らし、険悪になる。
あなたのことが好きだから、ぼくが不自由をさせたくない、と言いながら真面目に働くようなこともせず、代わりに自分が食わせてあげる立場になっているちぐはぐさ。
男性に振り回され、それでも失いたくないと惰性で続ける。
忘れるために物理的に距離を置いてみたり、潤滑油の存在で紛らわせてみたり、苦しくても、たすけて、と伝達できなかったり。
なんとか抗ってみせるんだけど、ゆくゆくは流されていくんだなあと。
それでも年齢を重ねるにつれ、経験を重ねるにつれ、本当に欲しい人は、自分から掴みにいく。
求められたからじゃなくて、求めにいく。
それが自分で選ぶということなんだろうなあと思う。

欲しいものを手に入れるまでは必死になって、いざ手に入ると大切な存在だったものの価値がだんだんと薄れていって、当たり前になって、不満を持つようになって、飽きてきて、また他の熱狂できるものを探し求めてしまう。
恋愛もそうだし、モノに対してもそうだし、どこかで共通しているんだだなあと感じます。
ちなみに、1990年代の洋楽が好きな方には、懐かしい選曲が流れてくることでしょう。
この頃のぼくは洋楽すら知らなかったからなあ。

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