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兎の眼 / 子供にはたくさんのタカラモノが溢れている

差別をしてはいけません、という人がいる。
みんな平等に扱いましょう、という人がいる。
それはとても正論だし、世の中の人がみんな実践すれば、この世界はとても住みやすい場所になるだろう。
でも、口では偉そうに正論を述べる人も、自分が差別をしていない、もしくは差別をしないように気をつけているのだろうか。

ハエを集めることが好きな子供に対して、その趣味を活かして学びにつなげようとするだろうか。
それとも、「ハエなんてそんな汚いモノ、捨ててしまいなさい!」と子供が熱中しているものを止めさせるだろうか。
子供は子供なりに大事にしているもの、興味があって熱中しているもの、それは伸ばしたほうがいい、と世間はいう。
でもそれが、ハエだったら、どうだろう?
ハエから学ぶことなんてない、もっと他にマシなものを選んでほしいと、思うだろうか?

住んでいる場所だってそうだ。
当時のゴミ処理場では焼却したさいの燃えかすが灰となって降りそそぎ、溜めてあるゴミ捨て場からは異臭が漂い、人が住むには酷すぎる環境だった。
でもそこで働く肉体労働者たちは、ゴミ処理施設の近くに建てられた家に住み、そこで生活していた。
汚い環境ですごす子供たちに罪はない。
むしろ不憫に思われるだろう。
家庭から集められたゴミをまとめて焼却する仕事もある。
誰かがやらないといけない仕事が、必ずある。
そこに住む人や子供たちが汚いからといって、バカにされる筋合いはないはずだ。
だけど、想像力の働かない人たちは、冷たい眼差しを向ける。

ハエを集める子供が環境の悪い場所で育ち、しかも両親はおらず、うまく話すことも書くこともできない。
はたから見れば、手のかかる子供で、その子を熱心に気にかける教師は、今の時代、どれくらいいるのだろう。
成長が遅いからといって、その子に能力がないとは言い切れない。
まだ目に見えないだけで、その子の中にはたくさんの「タカラモノ」が詰まっていて、まだ発掘されていないだけかもしれないのに。
自分も一緒になってハエのことを研究し、ハエ一つとっても奥深さがあることを発見し、ハエの観察を勉強とからめて、その子の学習意欲を向上させた。
毎日まいにち目をかけてあげて、語りかけてあげたことで、徐々に人に心を開くようになって、心が通じるようになって、文字も書けるようになった。

差別をすることなんて簡単にできる。
自分と違うところを見つけることなんて簡単にできる。
自分と違うところがあることを認めて、その人なりの良さを見つけて、肯定して、寄り添うことは、とっても難しい。
その人のために自分ができることを考えて、どうしたらうまくいくだろうと考えることは、とっても難しい。
自分ごとに考えることで、他人のことを考えることで、人は成長する。
そして大人よりも子供の方が、案外たくましいのかもしれない。

大人は変な常識とか世間体とかに縛られて、恥ずかしがってできないことも多い。
子供を教育することって難しいし、大変だと思う。
でも子供の頃に、人のために自分ができることはなんだろう?
何が一番大切なことなんだろう?
と考える力を育てることができれば、わかった風で終わる大人にならなくてすむのかなぁなんて考えた。

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