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悪魔はいつもそこに / 神を信じるか、己を信じるか

アーヴィン・ラセッルという一人の青年を軸に、様々な人物が描かれています。
アーヴィンが生まれる前からの出来事から始まり、彼の身に起きる事柄や、たまたまその場所に出会わせた人間同士が、時間を経て、また偶然にも接触するという、偶然か必然か、カルマにも似たようなものを思わせます。
この作品には「信仰」というものも一つのキーワードとして描かれている。
神を信じる者、神を信じない者、神を信じてはいるものの口だけの者、人それぞに信仰の度合いが違います。
「信仰」と言えば苦難に陥ってもいつかは報われるものだ、と救いがあるように望みますが、現実はそれほど甘くない、そんな気にさせられる映画です。

アーヴィンという一人の青年は、幼くして父親と母親を亡くすことになる。
彼がまだ少年の頃、母親のシャーロットはガンに冒され床に伏せてしまう。
父親のウィラードは元兵士で戦争にも参加した人物。
戦争の現実により神の存在を疑うも、シャーロットと結婚してからまた神へ祈りを捧げるようになる。
ウィラードは神へ祈り、妻をガンから救ってくださるよう祈りを捧げます。
ウィラードはどんなことをしてでも妻を救いたかった。
アーヴィンが大切に飼っていた犬を神への犠牲として捧げるも、結局シャーロットは死んでしまった。
ウィラードは悲しみに耐えきれなかったのかショックだったのか、妻を弔ったあと自殺をして死んでしまう。
この悲惨な経験からアーヴィンは、神への信仰心を捨ててしまう。
アーヴィンが信じているものは、父ウィラードだった。
彼は学校でいじめられていてあざを作ることもあった。
ある時父は自分をいじめた人たちに殴りかかり、報復した。
自分のために身を呈してくれた父のことを尊敬し、憧れ、「やられたらやり返す」その思想がアーヴィンの中にずっと流れることとなる。

アーヴィンは父方の両親に引き取られることとなった。
祖父母の家にはレノラという義理の妹が引き取られていた。
レノラは赤ん坊の頃に両親に預けられたまま、両親が帰って来ることはなかった。
この両親は教会で出会い結婚した。
父親は神の啓示を受けたと勘違いし (本人はいたって真面目なのだが) 、復活させることができると思い、証明するために母親を意図的に殺してしまうのだが、一人間には復活させることなど叶わず、結局父親はそのまま姿をくらましてしまう。
だがそんな事情を知らないレノラは、祖母の影響を受けて信仰深く育っていった。
神を信じていないアーヴィンと神を信じているレノラ。
神に対する考え方は違くとも、実の兄弟のように仲の良かった 2人。
レノラは学校で男子にいじめられていました。
昔の自分を見るような思いのアーヴィンは、父親が自分を守ってくれたように、今度は自分が妹を守るために復讐をする。
父のあとを追っているような気がしました。

彼らの町の教会に、プレストンという新しい牧師が就任する。
しかしこの牧師、実に口が上手く、胡散臭く、身なりにもこだわり、高級な車に乗っている。
見ただけで詐欺師紛いと分かるのだが、神のためだとそそのかし、自分の欲望を満たす。
信仰深いレノラは牧師のことを疑うこともせず、プレストンの囁きに乗せられてしまい、妊娠してしまう。
最初は牧師のことを信じかけ、自分が特別と感じたのかもしれません。
しかしお遊びだったことにショックを受け、信じていたものに裏切られた悲しみに耐えかねてレノラは自殺にまで追い込まれてしまう。
奇しくも母親と同じように歪んだ信仰の餌食となってしまったのです。
愛する妹が神の名を語り、信仰心によって惑わされたことを知ったアーヴィンは、自分の底流に流れる思想に従い、プレストンに裁きを下す。

このほかにも人物が出てくるのだが、ほとんどの登場人物が死んでしまう。
なかなか憂鬱で全体的に明るい映画ではない。
信仰心のあるものは神にすがりつくものの、望みは叶えられず悲しみに打ちひしがれ自殺してしまう。
そうでない者は己の欲望を満たそうとし、人を物のように扱かってきた結果、カルマのような、最終的に報いを受けるような結果に終わる。
と言ってもほとんどがアーヴィンに殺されてしまう訳なのだが。
ある意味信心深い人から見ると、まるで神は応えて下さらない、この世は不条理で残酷なんだ、ということを否応無く突きつけられるような気がします。

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