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幸福な王子/柘榴の家 / 人のために生きる人と、自分のために生きる人

自分の子供に語って聞かせるために作ったといわれる、ワイルドの童話集。
どの物語も示唆に富んでいるけれど、そのほとんどが死をもって終わる、というところが物悲しく、子供にとっても大人にとっても悲しいように感じる。
全てが辛く悲しい死ではなくて、神の祝福によって天国に招かれる、その苦労が報われる、という部分もあるけれど、大体は悲壮感が強い。
これらの童話には「思いやり」と「身勝手」が描かれ、言い換えると「利己」と「利他」ということもできる、という巻末の解説を読んで、なるほどと思った。
人のために身を投げ打って尽くすことができる者、人の善意をあてにして利用することにしか頭にない者、そして自分がやっていることに疑問を持たない者。
これらの人物を読んだときに思った感情が、まさにいい当てられた。

幸福な王子の銅像は、街の高台に据えられたことで、裕福な人が人生を愉しんでいるすぐそばで、貧しい者や子供たちが身を寄り添いあい、日々の生活に窮している現状を知ってしまった。
王子は渡り鳥としてやってきた燕に頼んで、自身にはめ込まれている宝石を貧しい人に分け与え、銅像に貼られている金箔を配ることで、自身の美しさと引き換えに、貧しい者に喜びを与えた。
みすぼらしくなった王子の銅像は打ち砕かれてしまったが、その善行によって、燕とともに死後に天国へと招かれた。

燕は一時的に寄っただけで、ほんとうはエジプトなど暖かい土地に渡るつもりだった。
しかし強引な王子は燕の話など聞かず、自分の願いを聞いてくれと頼み、善行を行う王子のために街に居続けることに決めた燕。
しかし冬の寒さに耐えられず死んでしまい、その悲しみによって王子は鉛の心臓が割れてしまう。
王子は貧しい者のために利他的だったけど、動けない自分の代わりに、燕にやってもらおうと利己的に振る舞った、といったら興冷めだろうか・・。

『小夜啼き鳥と薔薇』はただただ悲しいとしかいえない。
紅い薔薇の花を渡せば彼女は踊ってくれる、でもこの庭には紅い薔薇が一本もない、と嘆く青年のために、小夜啼き鳥は自分の命と引き換えに、薔薇に真紅の血を注ぎ込み、とても美しい薔薇の花を咲かせる。
青年はその紅い薔薇を持って彼女をダンスに誘うも、薔薇よりも価値のある宝石を送ってくれた男性の方を選んだ。
嘆いた青年は薔薇の花を捨ててしまう。
小夜啼き鳥が命と引き換えに咲かせた薔薇なのに、と読後感は苦い。

『忠実な友』もまた同じように苦かった。
親友は大事にしなければならない、といっている者の言葉を信じて、親友のためにいろいろな用事を引き受けてしまう男。
でもその親友は、「親友だから」という理由で男をこき使い、「物をあげるから」という餌を使って、男を利用する。
自分は全く正しい人間で、悪いことはしていない、と思っている人間こそ厄介で、意地悪い人間はいない。
「物をあげる」といってもいつまでも渡さず、物が欲しいなら見返りに頼みを聞いてくれ、と依頼はエスカレートする。
親友の頼みを聞くあまり、身辺のことは手がつけられず仕舞い。
挙げ句の果てには、親友のために嵐の中をさまよい命を落とす。
身勝手な人間に振り回された結果、不憫な死を遂げてしまう。

自身の身勝手な行いが周りに不幸を招き、結果自分にも返ってくる。
その身勝手さに気づいて改心したのが、『身勝手な大男』と『若き王』、『星の子』に現れていると思う。
自分が恵まれた環境は、どうしても離したくない。
でもその環境が、他の人の犠牲によって成り立っているのだとしたら。
自身の身勝手さによって自分に不幸を招いているとしたら。
自分のためにも、他人のためにも、身勝手な行動を控える必要がある。

身勝手さを自覚し、抑えつけ、思いやりによって他人と接する。
どんなことでも最後には自分に返ってくる。
身勝手な行動は、その時は楽しいかもしれないが、最終的に苦しみを運んでくる。
思いやりや善行は、短期的には自分を苦しめるかもしれないが、いつかは徳を運んでくる。
そんな風に感じさせてくれるけれど、そう簡単に結論づけることができない複雑さを含んでいるこれらの童話。
この世の儚さが胸に沁みる。

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