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チーズはどこへ消えた? / 変化を受け入れること

物事はずっとその場所にとどまり続けるわけではない。
自然は変化する。地球も変化する。
この世にあるもので変化しないものはない。
だけど僕たちは、それが、物事がずっとそこにあるように感じる。
手に入れたものはずっと所有し続けられるような気がする。
だけどそんなことはまやかしで、自分がそう思い込みたいだけ。
状況は刻々と変化している。
見えないところで少しずつ変わっている。
それを見ようともしないで安心しきっている。
やがて変化が目に見えるようになって初めて、「これはどうしたことだ! どうしてこうなるんだ! こんなことがあってはならない!」と喚き立てる。

変化していることに目を向けないことは多々ある。
そして手がつけられない状況になってようやく「どうすればいいんだ」と動揺する。
でも気づけたからこそ変わるチャンスかもしれない。
『チーズはどこへ消えた?』の物語に出てくる小人のホーのように、もう状況は変わってしまった、ずっとここにいても良くならない、だったら良くなるかもしれない方法を探し出そう。
そう思えるようになりたい。
人間は頭でっかちで頭でものを考える。
頭の中で考えをこねくり回し、ああでも内向でもないと悶々とする。
頭がいいゆえに思考に囚われてしまう。
逆にネズミはチーズがなくなったらまた探しに行けばいい。
実際チーズが少なくなっていることに、古くなって美味しくなくなっていることに気づいた。
そしてチーズがなくなってからも小人のように立ち尽くすことなく、新たなチーズを求めて迷路に出る。

動物は本能に従って行動する。単純といえばそうだろう。
だけど人間単純になることも時には必要ではないか。
複雑なものを単純にすることこそが最も難しく、高度なテクニックだったりする。
知識がありすぎることによって、想像力が豊かでありすぎることによって、恐怖心を自らの心に膨らまし、自分が作り出したものに怯える。
「もし恐怖を感じなかったらどうするだろう?」ホーは考える。
見つけられるかわからない新しいチーズを探しに迷路に迷い込む。
この先何が起こるかわからない。
見当がつかない、行き先が見えないのは不安でしかない。
でも一歩踏み出すことによって、前進を続けることによって見えてくる景色はあるはずだ。

小人のように目の前にあるものに安心せず、ネズミのように変化にいつでも対応していけるように、時にはネズミの単純さで行動する必要があると感じた。
ぼくは小人のホーのように自分の考えを改め、「恐怖を感じなければどうするか」と問いかけていきたい。
自分の望むものが手に入った時の充実感を想像し、噛み締め、原動力として迷路を抜けていきたい。
でも理想なのは、やっぱりネズミだ。
本能に従って、直感に従って、次にやるべきことを嗅ぎ分け、いつでも動けるようにしておきたい。
チーズがなくなることを予期し、新たに発見するために。

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